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食アラカルト(4)

[前橋市のJAビルに、聖徳太子の「17条の憲法」]

 ◆聖徳太子の「17条の憲法」16条について、先に当欄で書きました。原文は以下です。

  最後の“2句”「其不農何食。不桑何服に注目しましょう。

  <十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可

   使民。其不農何食。不桑何服。>(インターネット・ウィキソースより) 

◆前橋市のJAビルに「不農何食」の書が掲げられていると、日本農業新聞の

一面コラム「四季」が伝えていました(21年8/3)。そのくだりを以下に。

<・・・・・▼前橋市のJAビル1階ロビーに掲げられた書「不農何食」に心が

 洗われた。聖徳太子の十七条憲法にある一文である。「民衆が農業をしな

ければ何を食べますか」。農民を大切にする教えを忘れたかのような日本

である。耕す人が減り、食料自給率は4割にも満たない。もし輸入が止

まったら。「国民の命の危機、国家存亡の危機である」(鈴木宣弘著『農業

消滅』平凡社新書)▼便利な社会になっても、農業が衰退して真に豊かな

国と言えるか。耕す人がいない国は、まさに「時分の花」だろう。>

※時分の花とは・・・いっとき、ぱっと咲いて散ってしまう花という意味(宮﨑注)

      (宮﨑記)

食アラカルト(3)

[食、農耕にも言及。聖徳太子の「17条の憲法」]

 ◆明治36年(1903年)、報知新聞に『食道楽』を連載した村井玄斎は、子供のための「食育」を重視していたことを食アラカルト(2)に書きました。「小児には、徳育よりも 智育よりも 体育よりも 食育が先」と言っていたそうです。

 ◆それから100年以上を経て「食育基本法」が制定されたのが2005年。いま学校現場を中心に、多角的に「食育」が進んでいます。まだ不十分ですが。常に食育の原点は何かを確認しながら前進していく必要があります。すなわち食育を通し、子供たち一人一人が食をよく理解し、健康な心身を獲得できる力を身に付けること、これが食育の原点=目標地点だと思います。

 ◆温故知新――。食に関する歴史をさかのぼってみましょう。日本最初の憲法である『17条の憲法』はどうか? 推古天皇の摂政・聖徳太子が604年に発した、役人向けの“憲法”です(識字できるのは役人だけだった。一般庶民は、「民」とか「百姓」と表現)。「一に言う。和をもって尊しとなす」「二に言う。篤く三法を敬え。三法とは仏(ほとけ)、法(のり)、僧(ほうし)」など何箇条かは、人口に膾炙しています。

 ◆17条をよく読んでみると、「食」と「百姓」に関しての条文(役人への戒め)があります。17条憲法の記述がある『日本書紀』を宇治谷孟著の『全現代語訳 日本書紀』(講談社学術文庫)によってひも解いてみましょう。以下です。

  <五にいう。食におごることをやめ、財物への欲望を捨て、訴訟を公明に 裁け(以下略)>

  <十二にいう。国司や国造は百姓から税をむさぼってはならぬ(以下略)>

  <十六にいう。(略)農耕をしなかったら、何を食えばいいのか。養蚕をしなかったら、何を着ればよいのか。>

 ◆ちなみに、上の16条の原文は次です。最後の部分に注目。<不農何食 不桑何服。

  <十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。> (インターネット・ウィキソースより)

      (宮﨑記)

食アラカルト(2)

[食育が大事。さらに“生命教育”が大事]

◆『食道楽』という本があります。明治~大正時代に小説家・啓蒙家として名を

 なした愛知県豊橋出身の村井玄斎(1863―1927年)の著作です。村井は9歳

でロシア語を勉強し始めたそうで(東京外国語学校にも学んだ)、才気煥発な少年として成長し、明治の文明開化の奔流に乗り時代を代表する開明の文人だったようです・・・とは私の印象です。なにしろ開明派・村井は若いころから執筆欲旺盛。“百道楽”を書こうと構想メモを残していたそうで、道楽のテーマは釣、酒、読書、大弓、研究、玉突き、媒酌、囲碁、将棋、小言、芝居、謡、寄席、音曲、小鳥、自転車、骨董、書画、古銭、写真、旅行、猫、犬、小説、など森羅万象に及んでいたと、村井の子女・村井米子が中公文庫版『食道楽』に書いています(米子は父幻斎の著作の翻訳もした)。道楽の小説は『釣道楽』から始まり猟道楽→酒道楽→女道楽→食道楽と進み、どれも報知新聞に連載され大反響だったそうです。酒道楽では禁酒を勧め、女道楽は「人の罪なり」などと、“警句や人の道”も説いているのだそうです。連載作品は連載終結を待って次々と出版されて行き、現在『食道楽』は上の中公文庫版のほか、岩波文庫版(上・下)が膾炙しているようです。

◆『食道楽』は1903年(明治36)から報知新聞に連載されました。食通の登場

人物が当時の食材を輸入物も余すところなく取り上げ、料理を作りつつ食事の豊饒さや料理の面白さを、会話しながら食物語が展開する仕掛けになっています。胃と腸(胃吉と腸蔵)が会話する挿話もあり、食の体内での代謝についての食の科学も書いています。料理は今で言うレシピ付きで、玄斎は真に美味しい料理が出来るまで何度も試行錯誤を繰り返し物語りにした、と米子が明かしています。今日に通じるレシピであり料理が楽しくなると言っていい小説だ、と言えます。『食道楽』のタイトルに相応しい著作です。

◆中公文庫では、本文の初めに、次の注目すべき玄斎の一言があります。 

 「小児には、徳育よりも 智育よりも 体育よりも 食育が先 玄斎」

              (宮﨑記)

食育アラカルト(1)

   [食育の至上目的は「健康づくり」教育]

◆「食育」につき書いていきます。<食育アラカルト>と題することとします。

 この記事の目的は、子供たちが小さい時から、「健康」とはどういうことか、

 身体の仕組みや働きを「食べ物」と関連付け、体に沁み込ませて理解して行くよう、

 分かりやすくイラストや漫画を使って教えることが不可欠と考えており、そのための

 教材作りをすることです。当NPOではこれを具体的な活動目標にしています。理屈っぽ

 く言えば「健康づくり教育」こそが教育の真の目的であり、「食育」はそのための手段と

 位置づけるべきだと考えているからです。

◆上の考えに立ち、そうした「健康づくり教育」を仮称『健育』と呼んで、その

 教材作成を2,3年先ををめどに進めることとし、そのための材料集めの意味

 でこの<食育アラカルト>を綴っていきます。

◆農水省のホームページには「食育」について次のように書きます。
《食育は、生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるものであり 、様々

 な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実現

 することができる人間を育てることです。》

◆ん、ん。分かります。でもちょっと違うなあ・・・・というのが私の受け止めです。次のよう

 であって欲しいのです。

 《食育は、・・・・・・・健全な食生活を実現し、それを心身の「健康づくり」に結びつけること

  のできる人間を育てることです。》

                     (宮﨑記)

砂抜きが要らない養殖はまぐり

[あさりの砂~はまぐり養殖~コロナ・ダメージ]

◆あさりの砂抜きに関わる記事の続報です。あさりの産地、熊本県有明海や

 八代海の貝類が、8月の九州等の大雨のせいで塩分濃度が薄まるなどして、

 体力が弱ったことが、砂抜きがうまくいかなかった第一原因(スーパーの

 担当者の説明)と分かったのは大きな収穫でした。

◆話変わって、鹿児島県大隅半島の先端近く南大隅町に「シーアグジャパン」

 という農業法人があります。社名のシーは海産物を意味し“砂を嚙んでない

 はまぐり“を海水を汲み上げた水槽で養殖・販売するユニークな企業です。

 社名のアグはアグリカルチャーで、サツマイモなどの農産物も生産販売して

 います。ところが同社もコロナの影響を受け、高級料理店中心に販売していた

 はまぐりがまったく売れなくなり、農産物の売り上げも7割減だそうです。

◆はまぐりの養殖法は、鹿児島湾沖合の海底から海水を陸上の水槽に汲み上げ、

 水槽中に光合成植物・珪藻の一種を入れ、そこに二酸化炭素(CO2)を吹き

 込んで太陽光線を当て、光合成作用によって珪藻を増殖、それをはまぐりの餌に

 して太らせるというもの。これが砂を噛まないはまぐり養殖の秘密です。

◆小生、同社長・肥後隆さんとは20年来の付き合いで、3月の「雛祭り」などに、

 このはまぐりを産直購入してきましたが、“あさりの砂噛み事件”で電話し生産中止

 を知りました。コロナが一段落したら「養殖再開する」と肥後さんは話しました。

 コロナ後の食品➡水産物➡貝類、の消費がどう変化するのか、まったく想像できま

 せんが、この珪藻活用は、ちょっと注目です。

◆どう注目か? 1つはCO2の活用。また珪藻を飼料に活かす方途。同社の事業展開

 を当欄でフォローしますし、同社のHPも覗いて見て下さい。

                 (宮﨑記)