「石を愛せ・草を愛せ」の武者小路実篤の『馬鹿一』

6月19日 How  are  you  doing

 明治・大正・昭和を生きた武者小路実篤は「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」
という言葉や、独特の書体「実篤」のサイン入りの野菜の絵などでも知られます。
 「新しき村」という共同体を宮崎県木城村に作り(大正7年)、同士と農耕をしながら創作し
思索を重ねた、特異の小説家、ですね。
 その後、村は埼玉県毛呂山町に昭和になって移設され現存しています(10年ほど前にその
表示のある場所は確認しましたが、活動については詳らかにしません)が、「NPO食と農」の
農場を茨城県石岡市に展開していることもあり、初期の「新しき村」で農業をしながら沢山の
作品を書いた実篤には大いに惹かれます。作品は、余計な?情景描写などせず、ずどんと
言いたいことを書く創作姿勢で一貫していて、一言でいえば”実直の思想家”--というのが
私の印象です。

『馬鹿一』という短編は、代表作の一つです。冒頭部分は、こうです。
<・・・本名は下山はじむと言うのだ。はじむと言う字は一の字だ。それでぼくたちは下山の
ことを馬鹿一と言っている。
 これはけいべつして言っているにはちがいないが、愛称でもあるのだ。なぜかと言うとぼく
たちは馬鹿一をけしてにくんではいないからだ。にくめるような相手ではないのだ。めずらし
くお人よしなのだ。人がよすぎるのでぼくたちは馬鹿一と言っているのだ。
 どのくらい人がいいかは、つぎの話でもわかる。馬鹿一はくだらない絵をかいたり、詩を
つくったりしている。・・・>
中略。

<馬鹿一は詩をもってきた。
 「石を愛せ
  草を愛せ
  喜びその内にあり
  石を愛せ
  草を愛せ」
 という詩があったのでぼくはまじめな顔をしてこのあとに、
 「猫を愛せ
  犬を愛せ」
 と書いたらいいだろうと言ったら、
 「ばかだね、君は。」
 とやられてしまった。
 「ぴったりそのとき、そう思ったからかいたのだ。そう思わぬことをひとことも書かないところ
 がぼくの主義なのだ。石のよさが君にわかるか、いつか君は石をひろってくれたが、あのよ
 さがわかれば、ああかんたんにはぼくにくれる気にはなれなかったろう。あのくれかたで、
 君には石のよさがわからないのだと思ったよ。」 ・・・>

余計なことを、テレビでしゃべるのがコメンテーターなりキャスターの性のようで、耳を塞ぎたく
なります。いかがですか、みなさん? キラリと光るコメントがときにあるのですが、特にキャス
ターのしたり顔が、いやらしく、解説番組は見ないことにしています。
ニュースは一次情報だけで結構! 世の中、余計なことが多すぎる! そう思っています。
 
<石を愛せ・草を愛せ>なのです、人生は。
どうやって愛するか? 人それぞれの接し方で、接し、観察し、思い、愛するのです。
                                     (6/20未明 宮崎記す)