1月14日 How are you doing
【食と農のシンポジウム1/22。参加者募集中。要項12/15付】
長野県佐久穂町の横森正樹さんの、超うまい八ヶ岳レタス作りの話、
絶対オススメ。絶対おもしろい。絶対ヒントをつかめる、ビジネスでも。
22日午後6時より。飯田橋駅脇のビル10F、東京ボランティアセンターで。
申し込み:宮崎FAX(0467-32-7339)へ。名前・住所・電話書いて。
ぜひ、ご参加下さい。
「〇に田の字」を書いたロゴ付きの、つまり「マルタの甘夏ミカン」を思い
出すミカン好きの人も少なくないでしょう。酸っぱい夏ミカンの甘い突然
変異種に「甘夏ミカン」の愛称を付けて、田舎育ちの新種ミカンが東京
の山手線の吊革広告などで華々しくPRされ、あっという間に人気ミカン
となったのは昭和30年代でした。30~50年代が甘夏ミカンの最盛期
で年間38万トンも売れたのに、その後はデコポンなどの新種に追われ、
いまはその半分ぐらいまで売り上げを落としているそうです。
その甘夏ミカンを”貧乏村”の田浦で、酸っぱい夏ミカンに変え、仲間を
糾合して増植し、田浦を主産地に育て上げのが田浦の鶴田源志ら3人
だったと、「道の駅たのうら」の甘夏ミカンのデモンストレーションの成木
の脇に設置した熊本県の説明版にあります。そこから一世を風靡する
新種にどうやって甘夏ミカンを押し出していったか、拙著『甘夏に恋して』
に詳しく書いています。ヒット商品を作る手法は、IT時代のいま次々斬新
なものが考案されていますが、昔も今も、果敢に行動しプランを実行して
いかなければならない点は共通しているようです。
いまは鬼籍の鶴田源志さんが、甘夏ミカンに着目していなかったら今日
の田浦はなかったかもしれない。当時、その甘夏ミカンは「川野系夏橙」
という登録名の新品種(大分県津久見の川野さんが突然変異の発見者)
でした。鶴田さん以外の誰かが、この新品種をいずれかのタイミングで、
増植し別な方法で押し出し、結果、人気品種になったかもしれない。でも
歴史的なヒット品種に育ったかどうか? やはり鶴田さんの手腕に負う所
が大きかったとボクは見ています。
田浦は、鶴田さんがシベリアから引き揚げてきて就農した頃、蜜柑山で
の夏ミカン生産と、わずかな平地での野菜栽培で生計を立てるいわゆる
寒村でした。いまは県内有数の、また全国的に見ても愛媛や和歌山など
の産地に並ぶミカンの産地です。鶴田さんが村興しの火をつけ、地域の
農家が一丸となって産地化の努力をした結果ということでしょう。拙著を
いま読み返してみて、地域の変遷というものに深い感慨を抱きます。
源志さん夫妻が、長男の志郎さん夫妻、そして3人の男のお孫さんと共
に蜜柑山で草取りをしている時の写真を拙著に収めています。源志さん
と小学生とおぼしき孫たちが鎌を手にしています。一家3代7人が、家業
のミカン生産の仕事を一緒にやっているその姿の、なんと自然で幸せそ
うなこと。鎌が効いています。子供たちが山を愛していることが汲み取れ
ます。で、お孫さん3人は、3人とも大学を出て三男がミカン生産を継ぎ、
上の2人も農業関係の会社に職を得ています。源志さん夫妻ともに世を
去られたいま、近い所来、また一家3代での蜜柑山の作業が見られるに
違いありません。
岐阜県加子母のこと、島根県室谷のこと、を書いて、自分の故郷熊本の
田浦のこと、そして家業を愛し一家のみんなが仕事場で肩を寄せ合うと
いう「労働の感動」「生き方の感動」を、書かずにおれずに書きました。
乱文・乱筆、すみません。
pm11:36 I’m OK