責任感

4月8日 How are  you  doing

玄侑宗久さんが、NHKテレビで迫り来る放射能の危険に対して語って
いた。玄侑さんは芥川賞の受賞作家で福島県三春町の福聚寺の住職。
三春町は、原発20km圏内の退避地区の人たちが”西へ西へ”と退避
している町で、もっと西の郡山や会津若松などへ退避する人たちもいる
中の、完璧に安全と言い切れない区域。

でも、玄侑さんは「檀家を置いて住職が逃げるわけにいかない」と。静か
にきっぱりと言い切った。それがお寺さんの、住職の責任、ということ。
私はそう聞いた。いやもっと深い人間観や生命観があるに違いないが、
ま、ここは責任感と聞いておいて、間違いはあるまい。

わが神奈川県で。ある有名な教育関係者が、「公務」を放棄して自分の
子供だけを連れて、関西方面の知り合いかどこかへ避難したと聞いて
いる。震災発生からそうは日をおかず、早々だったとのこと。公務は厳然
たる重要なもので、それを目前にしての”敵前逃亡”。教育長は「せめて
公務を果たしてからの行動であったなら」と呆れ返っていた。

身の安全を期したいという人間の最も原初的な欲望に忠実に従った判断
だったわけだ。心理学者のA・H・マズローは、欲望の5段階説で、下から
順に、「生理的欲求」「安全の欲求」「帰属の欲求」「自我の欲求」「自己実  現の欲求」と分析していて、この人の「やばい、早く安全なところへ」という
欲求は、人間心理からすると、普通のことだった。分からぬではない。
そう、個人的行動として、分からぬではない。この人が教育関係者で公務
をもっていなければ、それで何も問題はなかった。

しかし、公的な人の、公務を放棄しての行動は許されるべきものではな
い。立場をわきまえた、柔軟な懐深い判断と慎重な行動が必要だった。
世の中、ときとしてこうした短絡的・硬直的、もっといえば狂信的な言動を
取る人がいるものである。今後原発事故の収束が遅れ、もし神奈川まで
も高い放射能汚染が広がってきて、「だから私は先手を打って行動した」
などとこの人が口にするようなときが万一あってもそれは違う。「だから」
というのが違う。この迷走事件の決着がどうつくか、フォローして行こう。

それにしても、原子炉を平常の冷却状態までもっていく作業が、いまだそ
の本格作業に着手できないという失態は、なんとも腹立たしい。この欄で
も何回か書いた。フェイルセイフティの構築が貧弱だったこと、初期対応
が後手を取りずっとそれが続いていることなどが主原因だ。政府の情報
の出し方にも、さらにはマスコミの半可通な記事も大いに問題だった。

am1:18  I’m OK